ジャージ

部屋を掃除してましたら、
着古したジャージのセットアップが出てきまして。
あーこんなんあったなあ、と。



もうどんくらい前なのか、
殺人で数十年御勤めしていたおっちゃん(もちろん筋の人)に捕まった時、
なぜか気にいられてしまって
酒をご馳走になり
「お前はヤバい」だの「怖い」だの言われ
若頭さんに紹介され
あげく「ウチに住め」「一緒に寝ろ」とまで言い寄られ、
さすがに尻はあげられませんとお断りしたところで
何かあったら力になる、と
お土産にいただいたモンです。




んー、
思い出すと面白い。
「いっつも警察がこの部屋を見張ってる」とか
久しぶりに会ったら
「人を車に詰めているところを見つかって、
ちょっと自分が詰め込まれててよー」とか
わりと当時の俺からすりゃカルチャーショックな現実を
いろいろと聞かせてもらいましたよ。




まー、
何よりひとつ会話の回答を間違えたら
俺が詰め込まれることになるであろう緊張感が
また面白かった。





えー、
こういうときほど
『人の顔色を読む』というスキルの重要性が分かるってもんです。
だいたい大学にいたころ
就職の面接の予行演習とかさかんにやってましたが、
あれ何の意味があるんだろうなって。
マナーの勉強とかか?
当然一度も出席しませんでした。





例えば「殴る」って目的で『行動』を起こしたとする。
これは対象に拳がぶつかって、
はじめて「殴る」という『行為』になる。
全ての『行為』は例外なく、
その対象があってはじめて成立する。





会話にしてもそう。
何かを発言するとき、
誰もがたいていその発言がどういう結果を導くのか
頭の中で想定するかと思う。
「お前は馬鹿だ」と口にするなら、
「相手が凹む」とか「怒る」とか、
その辺のリアクションがそれにあたる。
だから口調を柔らかくしようとか、
笑い話の流れを作って冗談めかして言おうとか、
対象に合わせて調整をする。




多くの場合、
想定どおりのリアクションが返ってくる。
アンタの想定がもし八割程度しか当たらず、
さらにそれを問題と思うのであれば、
いっぺん自分の思考回路を赤ん坊と取り変えてください。
自分の想定が当たるかどうかは、
常に相手の傾向やリズム、ひいては場の空気と、
対象を総合的かつ明確に把握できてるかどうかによる。
その把握をせずに行動するのは
どんな結果が起きようと自分の想定の方向に捻じ曲げる力があるか
ただ動いてるだけのオナニー野郎だ。




で、
この想定と把握は全てその場のアドリブになる。
ちゅうことは求める『行為』を成立さすための、
次の発言、行動を決定するために、
その場で相手の顔色を読むことが不可欠なわけ。




実はこういうのは、
ブースの前を通る来場者さんやビジネスライクな相手より、
上記のような荒くれ者のほうがやりやすかったりする。
なぜなら相手側からガンガン仕掛けてくるから
つまりは顔色を自分から見せてきてくれるからだ。
それをそのまま自分の波にして返せば、
まあ大抵はこちらが望み、
相手が望む形の『行為』を導くことができる。 




前々から
「お客さんに読んでもらって反応があって、はじめて作品が完成する」
と言ってますが。
本書いて並べて満足、はちょっと違う。
やっぱ読んだ後の読者さんの顔が見たいと
いっつも思います。
だって自分の書いたモンが良かったのか糞だったのか分かんねーじゃん。
もちろん自分が面白いことを最優先に書いてるんだから
糞だと言われよーと一向に構わんのですが、
お金払って買ってくれたお客さんは
絶対満足させたいっしょ?
自分が楽しくて相手も楽しい。
言わずもがなでそれがベスト。
つまるところは小説もヤーさんも一緒だってことさ。





普通に話してても、
ヤーさんみたいに流れを崩さずそのままに、
自分の予想の上をイッテくれる人が
俺は大好きだったりする。
逆に流れを寒いほうに持ってったり、
あるいはブチ壊して見当違いな地点にイッテくれる人は
面倒だから殴って完結させます。





とまあ、
顔色を読めれば楽しめるよってことで。
別に誰にどー思われようと知らん、
自慰行為こそ我が人生、
って人には何の関係もない話だ。
面倒なのでブン殴って終わらせよう。



ritsuka