限り

余命何カ月のなんたら、
みたいなのをちょくちょく耳にしますが。
有限ってモンがどんだけ重要かって話を。




話は早い。
1リットルの水と10リットルの水。
それらにそれぞれ10グラムの塩を溶かします。
濃度が高いのはどっちや。




それと同じことが人生にも言えることで。
明日死ぬヤツと10年後に死ぬヤツ。
そいつらがそれぞれ近所の公園に遊びに行きます。
楽しめるのはどっちや。




てことは、です。
「一生一緒にいようね☆」
とか言う恋人よりも、
「明日には別れようね☆」
とか言う恋人のほうが、
より濃い一日を体験させてくれるはずだよね。




てことは、です。
さっきの塩の例じゃないですが、
一人の恋人が与えてくれる量は一日だろうが一生だろうが
10グラムと決まっているとすれば。


その10グラムを一日で体験してしまって、
次から次に新しい恋人に取り変えていったほうが
限られた自身の人生の中で
より多くの塩を摂取できるということです。




……余命なんたらってのがドラマな売り文句になるってのは、
つまりどいつもこいつも少なくとも
そういう考え方の入り口には立ってるってことスよね?





それならさあ躊躇わず、
明日は日曜、散々遊び倒したあとに
恋人・嫁さんと別れちまいましょう。
アナタの豊かな人生のために!
な!


enjoy your wonderful life!


ritsuka