観点齟齬 〜パースペクティブ・トラブル〜

「ritsukaさんは何でそんなに大らかなんですか」
見た目と話し方のギャップが好き、なんて言われました。
おっさんにですが。




わりと付き合いの深い人間にソレを言ったら、
「その人は騙されてる」
と失礼なご意見をいただきましたが、
まあ実際そうかもな、とも思う。
騙してるってんじゃなくって、
表面上だけを見られてるって意味でね。




んで、なんで大らかって評されるのかってえと、
基本的に自分が「常識」とは思ってないからだろうな、と。




例えば
ベタな例で申し訳ないですが、
俺は別に人を殺すことが悪いことと思ってません。
あくまで人が人を殺したという事実があって、
それをある観点から
「非常に悪い」
って評価してるだけ。
じゃあ殺されても文句は言うなよ、とかアホなことを言われたりもしますが、
文句は言いますし抵抗もしますし、
殺されるくらいなら殺しますし、
誰かが誰かを殺そうとしていたら
できるかぎり止めようとは思います。
俺の価値観に照らしてみれば
人殺しは「非常に悪い」だもの。




けれども、
事実自体は如何なる価値観も持っておりません。
事実は事実として、ただ純粋にそこに在る。
それに意味を与えるのは、PARADISE LOSTでもテーマにした「観点」だってことです。
これもベタですけど、
狭義に戦争って観点から見れば、
たくさん人を殺せば「英雄」です。
ビルに飛行機で突撃するのも「聖戦」です。
それに対して復讐して、
ボスをブチ殺したことを国を挙げて祝ったりもします。




つまりね、
一つの物事に対して
人はいくらでも、自由に価値や意義を見出せるのです。
てことは、
自分が「常識」だなんてとてもじゃないけど思えないよね。




しかしながら、
その考え方で一歩間違うと、
秩序なんてもんはあり得なくなり、
社会は崩壊し阿鼻叫喚地獄絵図になります。
互いに無関心、
みんな我がまま無責任。
戦後しばらくして横行した価値相対主義に陥る。
で、そのツケが今の世の中の無秩序を生んでいる。
ですから、
言うまでもなく「常識」は必要です。
ただ一方で、
常識はあくまで限られた範囲における平均であることを
自覚しておかなければならないと。





さて、
ここで最初に戻りますが、
俺を「大らか」って言う深い付き合いのない人と、
「残虐」って言う身近な人。
この違いを説明しましょう。




ritsukaは己の常識を持っています。
で、それには固有の範囲があります。
例えるなら自分の部屋を持っていて、
室内は禁煙だから煙草吸うなら外でねって感じ。
隣の部屋がうるさかったら文句を言いに行きますが、
隣の隣が多少うるさくてもそんなに気にしません。
隣のアパートがうるさいんだったら
「あっちのアパートは爆音許可なんだ。
ほんならギター弾きたいときはあっちに部屋借りよう」
とか思うでしょう。
で、間違っても人の部屋に行って、
いきなりギターを爆音でかき鳴らしたりはしません、と。





結局何が言いたいのかっていうと、
すべての人はそれぞれに「常識」を持っています。
それを無視して自分の常識を主張することを、
俺はしてないってだけの話。
自分の常識と同じだけ相手の常識を尊重している。
それだけの話。





だからこっちの常識を相手が尊重してくれるのなら、
それはとっても有難いことで。
ね、大らかで当たり前でしょ?




ただし、
テメエの常識を主張するばっかで
こっちの常識を土足で踏みにじるってんなら、
そりゃあ残虐にもなって当たり前でしょ?





大らかだろうが残虐だろうがいずれにせよ、
相手の態度によって自分の態度を決めてバランスをとる。
部屋に近くなったり中に入ったりしたときに、
そこへきて「言ってることが分からん」じゃあ
シバかれても文句は言えないよね。





とりあえず俺を例にして話してみましたが、
すべて人間間におけるトラブルってモンの根底には
ある交錯点(事実)においての「常識」の齟齬、
「観点齟齬」がありますよって話でした。
それを無視して自分の常識を怒鳴り散らすのも、
相手の常識と自分の常識の最大公約数を見出して新しい常識とするのも、
あるいは互いの常識を尊重し合って「最大公倍数」を探ってみるのも、
そりゃあアンタの自由ですぜ、旦那。


ritsuka