血の証明


「ファミリー」だの「ブラザー」だの
町歩いてるとちょくちょく
頭わるそーなのが
安っぽい口調で語っておられますね。






原宿の竹下通りを歩いてみると
黒人のでけーのが「ヘイ、ブラザー」
なんつってワケ分からん店に連れてって
だっさい服を高値で買わせようとします。
前にウチにいたビートボクサーの後輩は
東京来て初めて遊びに行って
そのブラザーに六万くらい絞り上げられました。







きっとね、
みんな憧れみたいなのがあるんでしょう。
そーゆー「絆」ってもんに。
それは分かるし共感もします。
ただ
その「言葉」が先に来ちゃうと
頭わるそーに聞こえるしダサくなる。
趣味や方向性が近いだけの人間と
どういう理屈でブラザーなのか。
とりあえずカッコだけ合わせてるような
喧嘩もせず誤りを正そうともしないオトモダチが
どういう理屈でファミリーなのか。
そのへん詳しく教えてほしいですが、
それはさておき。








その憧れってヤツは決して間違ってはいない。
ていうか
この映画を観れば誰でも羨ましく思うもんだろうよ。







テイラー・ハックフォード監督、
「BLOOD IN BLOOD OUT」。







チカーノ(メキシコ系アメリカ人)の生活・文化の中の
「ブラザー」の絆を描いた超傑作。
三時間という長さを一切感じさせない、
むしろ足りなく感じさせるくらいの素晴らしい映画です。








カレシだのカノジョだの
友達だの何だのっつって、
くだらん理由であっさりと縁を切る方々が
絆なんぞを語っても寒すぎる。
まったく別の道を歩いて
あるいは対極をなす道を歩いてでも
決して断ち切れない想いってモンこそが
絆と呼べる代物なんだと思う。
そういう相手を他の誰かに語るときには
どんな罵詈雑言を使おうとも
その奥底に人間なる熱を感じるものです。






こないだツレと音楽やライブをネタに
「ひとつになる」ってことの意味について話したが、
例えばライブなんぞで
アーティストがオーディエンスに
「一緒に歌ってね」
みたいな煽りをかけることはよくあります。
が、
それで一緒に歌っただけで
「ひとつになる」のかというと
断じて違うと思う。
そんな絶対値的現象とはまったく別次元の
もっと深いところにある熱。
それが音楽を通して直列に繋がった時に
初めてひとつになる。







そういう熱がありったけ感じられる、
ゆえに傑作たるこの映画。
痛みや喪失、
嘘や裏切りを伴う紆余曲折を経てもなお
三人がひとつであること。
それが熱い涙として表現されるラスト・シーンは
情熱的な音楽の鼓動とともに
映画という枠を越えて観る者の心を震わせる。









自分にそういう相手はいるのだろうか?
そもそも、
そういう絆を結ぶ熱を
自分は持ち合わせているのだろうか?
その熱こそがBLOOD IN BLOOD OUT(血の証明)。
ぜひともご覧いただきたい一本でございます。









……が。








実はこの作品、
超名作にもかかわらずDVDも廃盤になっておりまして、
とてつもないプレミア価格で取引されてたりします。
アマゾンなんかじゃ二万近く。
(まあ日本語字幕なしの海外版なら五ドルくらいなんですが)
ずっと探してたものの
内容もマトモに知らんかったもんで
さすがにこの金額には手を出せずにいたんですが、
なんと川崎のDICEビルにあるTSUTAYAにて
レンタルされているのを発見!!!!
さっそく借りたわけですので
皆様川崎TSUTAYAに急ぎやがれ。







そして最後に。









マジで良い映画だから!!