依存

なんか久しぶりに書く気がしますが、
一応書かなかった理由ってのがございまして。
別に頼まれて書いてるわけでもないんで
どーでもいいコトなんですけど、
それについて説明させていただきます。






えー、
タイトルにしました『依存』。
するのもされるのも大っ嫌いです、俺。





『人』という字は棒と棒が支え合って出来ています
ってのは某有名先生の御言葉ですが、
倒れた棒が地面にめり込んで地球の中心まで到達したり
あるいは棒が浮き上がって大気圏突破して宇宙の塵となったり
しないでそこに留まっているってのは、
棒の重さと地面の押し返す力が均衡しているからであって、
それも棒と地面が支え合っていると言えるのではないか。
つまり人を模している棒と棒との関わりにばかり
目がいってしまっていて、
その棒たちを支える偉大なる大地に対する視野の無さが
すなわち今の環境破壊問題を引き起こしている
人間の傲慢さに繋がっているのだ。





……とかそんなんはどうでもいいんですが、
人は一人では生きていけない。
たまーに頭の弱い人が
「俺は俺だから」
とか言って人の迷惑を『シカト』してるのを聞いて
残念な思いをすることがありますが、
その偉そうな『俺』ってのを形成してるのは
シカトしてる『俺』以外のものだってことをね、
分かったほうがいいんではないかと。





分かりやすく言うと、
学校の教科書とかにも載ってると思うんだけど、
『ルビンの杯』ってな絵がございます。
知らん人はネットで検索しろ。
あれね、
俺大好きなんだけど、
白い部分が杯の形してて、
黒い部分が向き合ってる人の顔になってる、
みたいなことなんですけれども、
その白い杯を杯たらしめてるのは
黒い人の顔の部分で、
黒い顔を顔たらしめてるのは
白い杯の部分ってな、
真逆の色の相互関係を示している
すげーコンセプトの絵なんですね。





これは色んなことに応用して考察できて、
例えば正義なんてのも悪があるからこそ。
正義をはっきりさせたければ悪をはっきりさせる。
逆も然り。
つまり正義を支えてるってのは悪であって、
悪がなかったりすると正義ってのは存在しえない。
白地に白じゃ杯の絵は描けない。
逆も然り。
つまりあるものを個たらしめるのは
『それ以外』のものであると言える。
そう考えると「俺は俺」なんて言うときには、
『俺』を『俺』たらしめてくれる『俺』じゃないモノに
感謝こそすれ、
シカトするなんて失礼じゃないかとね。





でー、
何が言いたいかっていうと
全ての物事はたとえ対立していようと
一見無関係に見えようと、
それぞれに相互関係を持っていて、
物事が物事として個性を持つために
依存し合っているってことなんです。





じゃあ依存が嫌いとか言ってんなよってなりますよね。
「俺は俺」馬鹿と一緒じゃん、ってな。
しかし違うのだ!





三次元的、
つまり停止した空間の概念で考えれば確かにそうだ。
どんな偉そーなこと言っても依存している。
しかしそれを四次元的、
つまり時間の概念を付加して考えると
話は違ってくる。





世の中ってのは完結してません。
世界を形成する色は刻一刻変化します。
簡単なこった。
牛乳にコーヒー入れてみなさい。
最初は黒と白で対立してる色が
放っておいたらそのうち混ざって
おいしそーになるでしょ?
それと一緒で、
人間の思考、立場、その他あらゆることは
刻一刻と変化するわけです。





その中で個としてあり続けるには、
白なら白、
黒なら黒と、
自身の色形を自身で保つ力が必要なんです。
周りに依存している形で自身を保っていては、
そのうち混ざって個が曖昧になってしまいます。
ほんで
この個で有り続ける自身の色形を保つ力ってのが、
個の価値だと思うのが俺。
それは依存ではなく、
個自身が持つ本質的な力である。
それは決して
黒ありきで杯の形をしてるとか、
白があるから人の顔になるとか、
そーゆーんじゃない。
黒一色だろうと人の顔があり(見えないけど)、
白一色だろうと杯がある(見えないけど)。
そんな力。





……で、
まあね。
そんなややこしい話をしてきましたとこで
なんかスゲー話の色が変わるけど。
「あなたがいないと生きていけないの!」
みたいなのがね、
俺スゲー嫌なの。
個である為の力の弱さが。





例えば俺小説書いてますけど、
ワープロがないと書けないとか、
読者がいないと書けないとか、
部屋がないと書けないとか、
手がないと書けないとか、
そーゆーのは違うんじゃないかと。




ワープロなけりゃペンで書けばいいし、
読者がいなけりゃ土下座して読んでもらえばいいし、
部屋がなくても公園で寝泊まりできるし、
手がなくても口も足もある。
ちょっとね、
「コレがないと書けないの!」
みたいなのはね、
自分の名前で本出してる以上、
違うだろうと。
その辺から鍛え直していこうと、
こないだのイベント後の反省。
実際こないだの撮影とか死ぬほど寒くて
同行者(テメーでついてくるって言いだしたヤツ)が
さみーとか何でこんな時間にとか
ゴチャゴチャうるさかったけど、
行きたいと思って
寒さごときで止めるのが嫌だった。
着いてからは撮影に集中しまくって、
道凍る氷点下の山の中、
上着脱いで水と戯れてても全然寒く感じなかった。
あの感じがね、
すげー気持ちいいんだ。
個である状態なんです。
自己満足だけどさ。
暖房に依存してたらできないもんね。





そんな感じで依存について語りましたが、
とりあえずここんとこ最も依存していた
煙草を止めてみました。
すげー気持ちよくはまだなってませんが、
妙な自己満足感はあります。
それに飽きたらまた吸います。
無くても全く問題ないって分かったらね。





……んでそれらを踏まえた上で、
一番最初に言いました
長いコトannounceほったらかしてた理由ってのは、
察しの良い方はもうお気づきかもしれませんが、
つまりね。






別に書くことがなかっただけ。