例えば、の話

ツレと話をしていて、
人間関係の悩み事相談みたくなった。
で、とりあえず話を聞いていて、
言ってることがよく分かんなかったので
「例えばどういうこと?」
と聞き返した。




するとその人は
なにやらゴチャゴチャ言った後に、
いまだよく分かってないふうな俺に
「例え話が下手なんすよね」
と返してきた。




んで、
「それは良くないですよ」と俺。




前にクオリアの話をしたことが
あるようなないような気がするが、
人は人の頭の中の感覚を実感できない。
リンゴの赤さを誰かに説明して、
ではそのリンゴを絵に描いてみようとすると、
自分の書いた絵と他の人の絵とでは
色が違っているはずだ。
(同じ色鉛筆使うとかそーゆーのじゃなくてな)
だから「このトマトのような赤さ」とか、
そういう例えを介することによって
互いのイメージをできるだけ近くで共有しようとする。




「例え」とはクオリアの共有のための
一般的に使われている最も便利な手段ではないかと思う。
それを使えるかどうかで、
人となりが全然変わってくると思うのだ。




例えば。
俺なんかは小説を書いておりますが、
小説の捉え方を小説の範疇で終わらせないことに
ヒジョーに気を使っている。
例えば
音楽紙における好きなバンドのインタビューとか
武道における対人関係の在り方とか、
そういうのを小説にあてはめて考える。




このあてはめるというのがまさに「例え」で、
違う畑のものを自分には関係ないと捉え、
既存の小説のセオリーの中だけで物語を創ろうとすると、
狭くてつまらないモノになり下がってしまうことが多い。




これは人間関係においても同じで、
『自分は自分、人は人』
みたいな考え方のヤツは
基本的に自分の範疇の中でしか物事を片付けられないので、
その言動が狭くてつまらないモノになり下がってしまうことが多い。
もちろんそうでなくても素晴らしい人もいるけども、
その人たちは他の人たちの考え方を「例え」によって
一度自分の中に吸収し反芻してから、
自分には必要ないと判断して
『自分は自分』に辿り着いている。
この差は大きい。
昨今のエンターテインメント作品の狭さというか
あんま面白いものが見当たらないというのは、
まさにそれぞれがそれぞれの行き詰った畑の中でしか
物事を捉えていないという点が大きいように思うが、
まーそれはおいといて。





で、
自分の外のものを例えによって自分の中に吸収する
という技術は可逆性があり、
自分の中の物を自分の外に発する際にも
大きな影響力を持つ。
そのツレは
「どうせ言っても分かってもらえない」
みたいなことを言ってたのだが、
当然ながら分かってもらえるはずがない。
コンピュータみたくコピペできるわけじゃないんだから、
クオリアをそのまま相手に伝えることは不可能だ。
そのために、
「例え」のスキルが必要になる。
言っても分からないことを、
最大限に言って分かってもらうために。




そこで「例え」の技法について考察すると、
何でもかんでもモノに例えりゃいいってもんじゃない。
バイク乗りが「バイクの振動みたいなもん」と
こりゃ正確な例えだと思いながら言ったところで、
バイクの振動を知らんヤツにとってはワケ分からん。
逆にバイク大好きの奴が聞いたら、
ああ、そーいう感じか!ってなる。
つまり例えを使うときには、
自分と相手が最も近くなる中継点を探る必要があるわけだ。
おそらく例えが下手な人は、
その中継点を上手く見つけられないってのがあるんではないかと思う。





んじゃあ何で見つけられないのか。
それは簡単で、
自分が立っている位置(立場)と
相手が立っている位置(立場)を
把握してないからだ。
その位置(立場)とは社会的な意味もあり、
精神的な意味もあり、
物理的な意味もある総合的なモンで。
例えばネット上のトラブルをよく目にしたり耳にしたりするが、
そういうのの原因は
それぞれの位置が不明確であるからっちゅう場合が多い。
一度ネットを介して誹謗中傷的なモンをもらったことがあるが、
相手の位置を判断してテキトーにからかって終わらせた。
もちろんその位置が違えば他の手段をとったと思うが。




その把握のための手段は?となると、
こりゃあもう如何に他者を「例えて」理解するかに尽きる。
すなわち例えるためには例える必要があり、
その精度を上げるために日々例えるだけ。
ラソンランナーに走り方聞いたとこで、
すぐにその人と同じタイムが出せるわけないっしょ?
それと一緒で日々精進。




だからね、
そのツレが「例えが下手」っていうのは
自分の外の物事を自分の中にとり込もうとすることを
これまで如何におろそかにしてたかってことで。
それで人間関係が上手くいってるはずもない。
学生の頃は良かった、
みんなに好かれてた、とか言ってたが、
それはその頃は一緒に遊んだりして相手と接する時間が多く
また位置的にも近かったために
無意識的に相手が自分に浸透していただけの話。
それが社会に出て職場だけの人間関係になったとき、
浸透する暇もないうえ位置が離れてるから通用しなくなっただけ。
結局はガキの頃みんなに好かれてる自分にかまけて、
他人というモノを真剣に捉えてなかったツケってわけだ。




んじゃーこれから自分がどうするべきか分かるだろ?




というよーなことを説教しようとして、
なかなか上手い例え話をアドリブで思い付かず
「とりあえず俺の本読んでみろ」
ってなひどい終わり方をさせてしまった
ガキの頃から嫌われ者の俺でした。