沈黙する真実

珍しく次回作
沈黙の糸、昏き優しさに嘲りと餞
の話をしよう。





【人を殺してみたいと思いませんか】





人じゃなくても某かの動物が
息を引き取る瞬間を見たことがある人は分かると思うが、
生と死との境界線は二元論的に引けるものではない。




しかしながら、
人じゃなくても某かの動物の
死体を見たことがある人は分かると思うが、
生きてるものと死んでるものとの違いはハッキリと
二元論的に目視できる。





そんな死体を見たとき、
特に惹かれるところは?
いや、惹かれるっていうとクオリアのズレが喧しいので、
特に情動を煽られる部位は、と聞こう。
……いや、もっとおかしくなったか。
まあいいや。
で、どこ?


頭?
手足?
胴体?




違う。
それは、死体特有の目だ。




黒目はしっかりと前の景色を映すのに、
その奥にはどこまでも深い空洞が広がっている。
目は口ほどに物を言う、と言うが、
それは生きてる者の話。
死者の目には一切の『言葉がない』。
完全なる静寂。
仮にでも体験したけりゃ
電気なしで完全密封の地下室とかに潜ってみるといい。





さて、その空洞。
あれを見てると何だか吸い込まれてしまいそうな気がする。


吸い込まれる……どこに?
あれはどこに繋がっているのだろうか。





それは、世界の裏側だ。






まだ知り尽くしたワケじゃないですが、
俺の経験の限りの世の中には
死を見る人間と、
死を診る人間と、
死を視る人間がいる。





例えば先日実家で飼ってた犬コロが死んだ。
うちの場合だと『ラン』って名前だったが、
両親がその死体をペット墓地に連れてって(持っていって、ではなく)
焼いて埋葬した。
このときウチのおとんとおかんは
確かにランの死体を見ていた。
言いかえれば、
その死体には『ラン』という意味づけが為されていて、
ただ無名の死体ではない。





一方、
馬術部に所属していた頃のシショーが
よく道端に転がってるタヌキの死体の尻尾切って
役所に持ってったら(連れてったら、ではなく)
小銭が貰えるみたいなこと言ってましたが、
このときシショーは
確かに死体を視ている。
言いかえれば、
その死体には文脈が必要とされておらず、
結果無名のタヌキ型の死体である。






診る人間は言うまでもなくお医者さんとかなので、
とりあえずここでは割愛させていただく。






さて、
これらの場合、
人々の心を揺さぶるのは見たものか、視たものか。
まーそれもまた言わずもがなだが、


ランの死体をそこらの生ゴミと同じ扱いされたら
おとんとおかんはキレるでしょう。
だからゴミの日に出さず墓苑に連れてったわけで。
一方タヌキの死体はそこらの石コロと変わりない。
役所に持ってっても行き先は焼却処分でしょう。
シショーも小遣い貰っといてキレやしないでしょう。






つまり、人々の心を揺さぶるのは
死体そのものではなく、
死体に生きている者が与える意味や価値である。
人々はそれを見て感動し、
それがなければ素通りする。


犬猫の死体なんて
車に轢かれたのがそこらじゅうに落ちてるのに、
誰もそれを見て涙したりはしない。
飼ってたのが死んだら悲しむ。
それは『ラン』を見ているからで、
目の前の死体と視ているからではない。






けれど視えるものは、確かにそこにあるのだ。






いつだったか忘れたが、
通り魔が人を殺しといて
動機を聞いたら
「ヒトを殺してみたかった」
とか抜かした。
わりと多くの人が戦慄したと同時に、
どこかでその感覚を完全否定しきれなかった人も
意外と多かったのではないだろうか。


対象の人間に意味や価値を見ておらず、
対象のヒトに意味や価値を視ようとした。
その感覚はメディアの
「何何が起きた」「何人死んだ」
ってテロップに惹かれるのと同じ。





本能的に、
その存在を知っているのだ。






人間の世界は、
言いかえれば人間社会は
人間の意味や価値で構成されている。
身体的弱者が安心して生きていられるのはそのためだ。
しかし人間社会が破綻してしまえば
弱者は落ち着いて生きてはいられないだろう。
まーそういうことは日本においては
部分的な場合を除いてありえないが。
……ありえないのだが、





そういう現実は、確実にある。
だってほら、
どんなに倫理道徳綺麗事が普及したところで
実際に殺人は起きるわけでしょ?
どんなに法律が強固に取り締まったところで
くだらねえ動機で人は命を奪われるでしょ?





そう、確実にあるのだ。
見える意味や価値を剥ぎ取ったその先に視えるものが。
それは目に見える人々の日常の、裏側に。
あの死体の空洞の目が導く、
世界の裏側に。





それを、観てみたいと思いませんか。






FEATHERSラインでは
登場人物同士がぶつかり合って作る
上昇の螺旋を描いた。
みんな空を飛びたいと思うし
空を見上げることは容易なモンだ。





DEADLY FEATHERSでは
下降の螺旋を描く。
狭く暗く息苦しい
閉塞した地の獄へと。






真実はただ沈黙しそこに在る。
理想の空を見上げて歌う鳥たちを
嘲り、
愛しながら。


ritsuka