たまに人の本3

裏切り裏切られ、
金に群がって嘘を吐いて、
すべては被害者の責任。



心にもねー綺麗事を平然と交わし、
所詮他者なんてメシの種くらいにしか見てないんだろ。
くだらない茶番劇にゃもううんざりだ、
さっさとくたばれよ金蛆どもが。



……みたいなことをいっつも思いながら生活してますと、
なんつーか子供みたいストレートな素直さってのが
たまに、とてつもなく愛おしく思えたりもします。



道端に落ちてる死骸を見るたび
これ新作のオブジェに使えるかなー
って真っ先に考えて拾って帰る俺みたいな汚物に愛おしまれても
そりゃ迷惑でしかなかろうですが、
なんだかすげー好きな本に出会ったのでご紹介な。



前回のCOMITIAで買った(貰ったんだっけか?)
【こころはたまご焼き】たべ犯 さん著
愛宕




愛宕と書いて「あたご」と呼びます。
むかーしむかし、
あるところで炭を作って暮らしていた若者「小十郎」が、
山で罠にかかってる鹿を発見。
村の決まりで、
貴重な食料を捕まえるっちゅう猟師の仕事を邪魔する奴は
酷い目にあわされるのですが、
鹿があまりに訴えるもんでつい助けちまった小十郎。
その悪事はあっさりバレて、
村の衆に虐められる羽目に。




鶴の恩返し的な話の展開で、
困った小十郎を鹿がヘルプすんのかと安直に思って読んでたんですが。
この作品のテーマはその一歩先を行っておりました。
あたかも鶴のよーに始めて読者に意識させといて、
そっからをさらにもう一展開させることにより
見事にテーマを確立させております。



……のですが。
たぶん、
そういう技術っちゅうか駆け引きっちゅうか、
小手先のことは考えてないみたいです、著者さん。
なんか素直に書いて、
それが偶然鶴的展開だっただけって感じか?
いや
計算されてたらされてたで
見事に踊らされてるわけだから
それはそれで良いんだけど。
嘘って分からない嘘は綺麗なモンでしょ?




まーなんていうかね。
文が上手いとか展開が上手いとか、
設定がどうとか記号がどうとか矛盾がどうとか
綺麗とか汚いとかなんかもうどいつもこいつも上っ面ばっかじゃないですか。



本来そーいう技術ってのは
伝えたいことを伝えるための手段であって、
少なくとも「物語」においてはそれ自体が意味を持つことはない。
分かりやすく言えば、


外国行って生活する→外人と意思疎通図る必要がある→外国語学


であって、
別に使わないけど必修だからTOEICやりますってのは
ただ単位とるための
中身のない作業ですよと。
単位とるのが目的ならそれで正解っちゃ正解ですが、
表現物においてそれはねーだろと。


上っ面がどれだけ偉そうに飾られてようと
結局言ってることの本質はただの馬鹿じゃねえか
みたいなのはね、
もうお腹いっぱいなの僕。
面倒くせーの。
少なくとも自分がそうならないようには努力してます。



そうじゃなくて、
この「愛宕」みたいに
技術もへったくれもなく直球勝負なお話は
読んでて気持ちがいいです。
「国民のため」って綺麗事を中身もなく振り回してる
権力蛆の方々のおかげでドロッドロになってる頭ん中に、
わりとスカッと綺麗事を決めてもらえました。
こういうのを書こうと努力してます。





きっとね。
こういう素敵な本はいっぱいあるんだ。
こんなクソッタレな世の中でもね。





……綺麗事言いたいってわけじゃねーからな。


ritsuka