誰も信用できない

みたいなことをたまーに聞きますが、
ほんならどーゆー人なら信用できるんスかね?









以前DONNIE BRASCOを紹介した時に
信頼について少々書きましたが、
信用と信頼の違いってのは
文字通り「用」と「頼」です。
信用は互いがフラットな状態にあり、
信頼は互いが自分の存在を支えている状態にある。
少し偏った言い方をすれば
信用は裏切られても部分的なダメージで済み、
信頼は裏切られるとアイデンティティが崩れる、
っちゅうことだ。








例えば……そーだな、
メシ食う時にお箸を信用できない人っています?
あんまりいないよね。
でもお箸を信頼する人ってのも
状況にもよるけどあんまりいないですよね。








てな書き方をすると、
なんか信頼のほうが重いモノのように聞こえるかもしれんが、
それはただの相互関係の形状の話です。
で、
今回は信用についてですが、
人を信用できねー
とかのたまう方には対象が把握できてない。
箸は信用できるのに人は信用できない。
それはつまり箸と違って人は心を持っていて、
その心の部分が理解できない、
と言い換えることができる。
その理解をすっぽかして
「こうであってほしい」
という一方的な要求があって、
そいつが満たされないもんだから
「こうであるべきだ」
になって、
当然それでも満たされないから
「誰も信用できねー」
になっちゃう。
つまりはただの『信要』なわけです。
子供ならまだしも、
ある程度信用や信頼を裏切られた経験があれば
(実際には裏切りでも何でもないんだが)
無条件に相手を信用できる、
箸のように思い通りに用を為してくれることなんて
あるわけねえって分かるはずなんだけどな。







あくまで傾向ってとこで留めておくが、
信用できねーとか言うような人は
他人に対してアプローチをしない人が多い。
話をしてても自分の主観を語るばっかで、
「あなたはどう?」
ってな感じで
こちらのことを知ろうとする言動がない。
正直そーゆーのと話してると、
箸みてーな扱いを受けているようで
ヒジョーにムカつく。
ので基本避ける。







行動すなわち「ある動作を行う」ってのは
原則的に何らかの結果を求めて起こされる。
その行動が正解なら結果を得られ、
そうでなければ得られない。
あったりまえのことですね。
もし正解の行動が結果をもたらさないのであれば、
それは「行動→結果」のシステムすなわち『→』に
何らかの誤読があることが考えられる。
例えば
「転んだ人に手を貸す→ありがとうと言われる」
ってプロセスがあったとしよう。
しかし転んだ人に手を差し出したら
「ぶっ殺すぞ!」
と言われてしまった。
何故だ!?





推察1:向かいから歩いてきた女性の
気を惹こうとしてたのを邪魔されてキレた。


推察2:実はそいつは昔殺した敵の子供だった。


推察3:手を差し出されたら殺せとプログラムされた
アンドロイドだった。


推察4:一瞬で生命線を読みとった彼は
あなたが間もなく酷い病気で死ぬことを知り、
せめて自分の手で楽に殺してやることが
手を差し出してくれたことへの礼だと考えた。
しかしあなたは死を受け入れられず悩み苦しむだろうから、
自分が通り魔として憎まれることで感情のはけ口となろうとし、
乱暴な言葉を使った。






とまあ
不具合の推察は無限に出てくるんですけれども、
もし「ありがとう」ってな結果を求めるのであれば、
じゃあその誤読を正しましょうってことになるよね?
だから女性にハンカチを貸させて自分は立ち去ったり、
互いに死を覚悟した正当な決闘だったって説明したり、
プログラムに侵入して改変したり、
……まあなんかいろいろしたりする。
その際には絶対にシステム『→』の理解が必要ですよね。
で、
システム『→』に対しての正解の行動をして、
無事「ありがとう」が得られました。
めでたしめでたし。







信要が信用だの信頼だのにならねーのは
『→』の状態を把握できてないからだ。
『→』ってのはつまりは対象のことで、
目の前にいる相手のことだ。
簡単に言おうか。






相互関係をおろそかにしてるからだよ。







自分と他者との間にあるプロセスが
ひいては他者が
どんなもんなのか正確に把握してないからだよ。
プログラムが間違ってるのに
パソコンが思うように動かねームカつく!
泣きわめく、ギャー!
ブチ壊す、フンッ!
人間なんて大っ嫌いだー!






……勘弁してくれ。






人はみなさん箸と違って、
自分の欲求に従い行動しております。
それが他者と一致するわけがないんです。
何も考えんと思いどーりになるわきゃねーだろが。
テメーの頭ん中で造り上げた幻想じゃなくて、
ちゃんと目の前の相手を見ましょうね。
ガキじゃねーんだからよ。







そのプロセスをきちんと把握・理解し、
それに見合った適切な行動をすれば
相手は思い通りに結果を出してくれる。
言い換えりゃ
用を為してくれる。
そんとき初めて信用できるんです。
つまり誰でも信用できるんです。
テメー次第でな。







相互関係をほったらかして
みんなを信用できる世界。
そんなんがあると本気で思うなら、
エセ宗教にでも入信しといてくださいな。







なんかただの愚痴っぽくなったのは
ここんとこのストレスのせいです。
気にしないこと。