金環日蝕

とは全然関係ないんですが、
身近で一人発狂しまして。






いや定義的に言えば発狂とは違うのかもしれんけど、
周りの人間が干渉できないとこにイっちゃって。
いきなり笑う、いきなり泣く、いきなり叫ぶ、
なんか誰かと喋ってる、暴れる、どっか行く……
申し訳ありませんがこういう性格なもんで、
頼まれもせんのに興味深々終始ギンギン
喜び勇んで一日首突っ込みっぱなしだったんですが、
残念ながら数名がその人の物語に巻き込まれただけで
せいぜい警察が出張ったくらいで怪我人もなく、
結局たいして盛り上がりもなく終わっちまった。






で、
その人の物語が俺なんかよりよっぽど
小説の才能あるんじゃねーかってくらい面白いんだけど、
ちょっと人様に聞かせる内容ではなかったりするので
詳細は置いといて、
そのカオスっぷりを見ていた『周りの人』をね。
そっちもしっかり観察してたもんで、俺。






まー俺ほどじゃなくともみなさん
退屈な日常に一陣の風!
みたいな感じでリアルスリルアトラクションとばかりに
ヤベエヤベエ言いながら楽しんでおられましたが、
話を聞いてるとね、
やっぱりみなさんどうにかして解釈しようとしてるのね、
その人のことを。
なのに何故か、
その人の言動を受け入れようとはしないんだ。
その人を『自分の』範疇に当て嵌めようと頑張ってるんです。
なんつーか、
合わないパズルのピースを廻したり裏返したり
それでもだめなら無理矢理ねじ込む、みたいに。
やれ宗教だだの、やれ二重人格だだの。






今回は少しだけ世界観のギャップがあったので
その様が顕著に見えたんですけど、
でもそれは実は一般人と狂人に限った話ではなかったりします。







例えばウチでブース出してて
お客さん来てくれて
本を手に取る前に
「どういうジャンルですか?」
って聞かれることがよくあります。
まーウチの本は表紙でそれが分かんないし、
お客さんだって自分好みの本が欲しいんだから
まったくもって問題ない。
人は何かを自分の中に吸収しようとするとき
あらかじめ或る程度の傾向を把握するもんだし、
それから深く浸透していくうちに
ギャップを見つけたりするとまた楽しめる。
もっと分かりやすい例で言うと、
ラーメンが食いたいときは
良く分からん食堂じゃなくて
「ラーメン」ってのぼりが出てる店に入るっしょ?






ただね、
そこに固定観念ってもんがあると
ちょっとばかし面倒なことになります。
人間観察の経験上
歳とればとるほどひどくなるところがありますが、
つまり
「ラーメンってのはこういうもんだ!」
みたいなアレですよ。
それ以外の味は理解できないモノ、
ひいては間違っているモノみたいなことになっちまう。
表面だけ見て判断して
深く潜らなくなっちゃうんですね。








もういっちょ例を上げますと
音楽な。
DIR EN GREYを人に勧めますと
「ビジュアル系はちょっと……」
みたいに拒絶されることが未だにあります。
そのDIR EN GREY
海外じゃメタルのジャンルで扱われてるらしいです。
でもメタラーにはこんなもんメタルじゃねえと
否定されてたりします。
DIR EN GREYの音楽という『個』そのものを
好き、嫌いと答える人はかなり少ない。






こういう個ではなく表面によって
相手を評価する傾向を
俺は「カテゴライズ背離」と勝手に呼んでるんですが、
実はこれ表現物に限らず、
どんな人にとっても身近なことなんですね。






ほら、
よくカレシだのカノジョだの言うでしょ?
こないだ興味深く思ったのがな、
駅前で高校生ぐらいのガキが
「ヒューヒュー」とか騒いでんの。
何かと思って見てたら、
一人の男の子のチャリのケツに
女の子が乗ってます、と。
んでそれを周りのヤツらが囃してるんですな。
この時代のトーキョーでまだこんなノリがあったのか
とちょっと感動したのはともかく、
その囃すガキどもに女の子が照れながら叫びます。






「付き合ってないから!」





そこが問題なのか!?
男女睦まじく二ケツしてる、
つまりその二人がラブラブであることじゃなく、
付き合ってるか否かが問題なのか!?
いや、
二ケツ程度でラブラブなのかは知らんが。






このカレシカノジョもまさにカテゴライズの一種なのね。
俺はよく分からんけどさ、
カレシカノジョだったらセックスOKだけど
そうじゃなきゃしないさせない、
みたいな傾向。
カレシカノジョがいるので
他に気に入ったヤツがいてもセックスはしないさせない、
みたいな傾向。
あるでしょ?
浮気がなぜ駄目かにしてもさ、
「好きなヤツがちゃんといて、
そいつも自分のこと好いてくれて、
他のヤツとセックスしたらそいつが傷つくからしない」
じゃなくて、
「カレシカノジョがいるから……」
って説明するじゃない?





……もうね、
馬鹿馬鹿しすぎんだよ!





旦那嫁ってのなら
法的にいろいろ不味いからってことでまだ理解できるけど、
カレシカノジョなんて所詮恋人ごっこだろうがボケ!
あげくカレシだのカノジョだのを
なんかの権利かのようにアホみたいに振りかざしやがる。
ごちゃごちゃぬかす前にその目の前の相手も分からない
寝呆けた頭を何とかしろクソッタレ!










……いやごめん、
同年代とか年上の人間がいい年して
カレシだカノジョだガキみてーにピーチクパーチク
五月蝿くてイラつかされることが多いもんで。
ちょっと落ち着こうね。





えーとつまりどこに着地したかったかというと、
カテゴライズによってその個の本質を誤読してしまい、
ひいては個として対象と向き合うことができない、
ってことになるぜ油断してたら。
みたいに決めたかったわけです。
ものすごいすっ飛ばしましたが。






ということで、
みなさんも誰か身近な人が狂ったら
狂人だなんて一言で片付けないで、
ぜひその人の世界に足を突っ込んで
真正面から個として狂気と向き合い触れて、
自分の知らない景色を堪能するのが吉かと思います。
それがきっと今の常識がどんだけ狭義のものかを教えてくれ、
貴方の世界ひいては人間の器をぐんと広げてくれるでしょう。
狂気を常識と呼べるようになれば貴方はもう
ひとつウエノ男になっているはずです。







その過程でなんかあっても
俺は責任取りませんけどね。