どこへ

「最終的にどこに行きたいの?」






と今日ひさびさに飲みに行って聞かれたんですが。
小説の話ですけども、
どこ、と言われてもねえ……
あなたは生きてて最終的にどこに行きたいの?
って聞かれて
答えられる?






でも闇雲に書いてんのかっていうと
そんなことはなく。
作品ごとにテーマがあって、
そのテーマに対する答えを
各ラインのコンセプトに沿って考察し提示する、
って終着点は毎回ある。





んで本来考察ってのは
何にしても楽しいもんですが、
正直学校で書かされてた研究のレポートとかは
大っ嫌いでした。
嫌いすぎたため落第した揚句、
学部まで変えましたが、
なんでかってえと、
つまんないから。
あらかじめ答えが出てるのを
考察しろってのがね……。
「教科書通りにやったら
教科書通りの結果になりました」
みたいなことを書いたら
単位もらえなかった。
先輩に見せる馬術部の騎乗日誌とかは
アホみたいにいっぱい書いて
先輩が面倒くさがって読まなかったんだけどな。






考察は楽しい。
でもそれだけだと一方的で、
読み手としては先輩みたいに面倒になる。
だからエンターテインメントとしての物語を創って
読み手と遊びながら答えを探してみようぜ、
ってなことで小説を書いてる。
まー理由はそれだけじゃないけどもね。
少なくとも仕事として捉えるのなら、
サラリーマンやってた方が百倍マシ。
だからほら、
学校サボって昼夜通して馬術談義してた馬鹿学生の頃と
あんまり変わっちゃいないんです。
単純に楽しみたいから。







そーゆー点から考えると、
小説という媒体を通して
人間ってものを考察し結論を出す。
無理矢理言うならそこが最終的なとこだろうけど、
でもそんな考察の結論なんぞ、
どっかで野たれ死んだときに出るもんだろうから、
言い換えれば生きて死ぬことが
行き着くとこなんじゃなかろうか。








とりあえず今書いてるASTRAも
終着点ははっきり描けてるし、
次に向かうべき場所も視野には入れてる。
道を歩いてその先が見えてきて、
そこに辿り着いたらまた先がある。
力尽きたところで野たれ死んで
死体は蛆の餌になる。
……そんなもんだろ、
鼻くそみたいにちっぽけな男の一生なんて。
それを楽しむだけのこと。







でもよく分からんが
俺は芸術家扱いされてるらしく、
それを
「夢に向かって好き勝手やってる姿が格好いい」
とか言われると、
アホらしいな……とも思う。
夢ってのはこう、
アメリカンドリームみたいな
莫大な金を手にして大スターでウッハウハ
みたいなことなんでしょ?








生きて死ぬことのどこが夢なんだろうね。