スタイル

サークル名ってのがありますが、
なんでわざわざそれが必要なのか。
複数名でやってんのならまあコンビ名として分からんでもないが、
個人でやっててもサークル名をつけたりする。



基本的に流通してる小説ってのは個人名義で並んでる。
豊饒の海三島由紀夫ってな感じでね。
しかしながらウチの場合は、
RITSUKAではなく
わざわざFEATHERSやらDEADLY FEATHERSって
今んとこ二つの名義で出してる。
それが何でかって話。



うちとしては、
それらはブランドとして捉えてる。
感覚としては
まー「HERMES」だの「BVLGALI」だのと一緒。
んじゃーブランドって何なのか。




たんにロゴ押ししてたらブランドなのか?
……違う。
ブランドとは確固たる『スタイル』のことだ。





とりあえず何でもいいから俺が書いたモンってだけで売るのなら、
両ブランドは不要。
RITSUKAって個人名義で出せばいいし、
なぜか申込書において絶対記入しなければならない
サークル名もRITSUKAって書けばいい。
けれどもホームページのCONCEPTを見てもらえば分かってもらえるだろうが、
FEATHERSとDEADLY FEATHERSでは
まったく別のスタイルを提げている。
提唱するべき一貫したスタイルがあるからブランドが産まれる。




以前は出展にあたって
主軸となるほうのスタイルをサークル名にしてたが、
それらが単体で終わらないモノになったため、
その上位に「EYES OF THE MARK」を創った。
とりあえずその辺の話はやめときますが。




例えば服にしてみたら、
相性の良いブランドと悪いブランドがある。
馬鹿みたいな一発ネタギャグのシャツと、
例えばエルエスディーみたいなエッジの効いたパンツとかを合わせると、
すさまじいズレが生じる。
これはスタイルの違いによるものだ。




例えば歌でもそう。
昨日偶然テレビで聞いた
「頑張れニッポン、負けるなニッポン、頭の良い国ニッポーン」(うろ覚え)
とか頭の悪さフルスロットルな曲を
DIR EN GREYが演ったりするのはあり得ない。





以前コラボレーションの話をした記憶があるが、
コラボによって産まれるよりよい作品とは
互いのスタイルが反発しあうことなく
混ざり合うことによって産まれるもの。
これを理解せずに手を出してしまうと、
残念なものしか産まれない。





んー、
結局何が言いたいかっていうとね、
『スタイル』なんですよ、重要なのは。




俺の場合、
物を書くにあたって
言葉の上手さ下手さはわりと気にしない。
誤字脱字もよっぽどバランス崩さなきゃ同上。
けれども、
文字によって表現される『スタイル』。
その矛盾は一切許せないし、許されない。





ここみたいな場所でならどーでもいい。
わざわざ最後にritsukaって名押ししてるし。
けれどもブランドとして出すものには許されない。
でなきゃブランドの意味がない。




それを肝に銘じとけってことだ。
分かったな、俺。


ritsuka